榛名神社と歓喜院聖天堂

本日休み。週末は天気が崩れるとのことでしたので、朝から洗濯。
ついでに冬物をクリーニングに出して、ちょっとした衣替え。
気持ちいいですねえ。


さて、先日、仕事の関係で再び群馬に行って参りました。
せっかく群馬まで来ていたので、群馬県在住の後輩に声をかけたら、車を出してくれるとのこと。
何カ所かまわってきたのですが、そのうち、江戸時代に建てられた美しい建造物が残る榛名神社、および県をまたぎまして、埼玉県熊谷市に建つ歓喜院聖天堂を訪問いたしましたので、写真と共に紹介させていただきます。


まずは榛名神社
榛名神社は、上毛三山の1つ、榛名山の神を祀る神社で、主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神です。


青銅でつくられた鳥居と、その奥に見える随神門


随神門は弘化4年(1847年)の建立です。


矢立杉と神幸殿

矢立杉は樹齢1000年といわれる杉の古木です。
武田信玄箕輪城攻めの折、戦勝祈願に矢を立てたとの言い伝えに基づき、矢立杉と呼ばれているのだそうです。

また、安政6年(1859年)に建立された神幸殿は、5月8日に本殿より神輿が渡御し、15日に還御されるまでの期間に限って開帳され、参拝できるとのこと。
GW明けではありますが、よかったら訪ねてみてください。



瓶子滝(みすずのたき)

滝の両側の岩が神酒を入れる瓶子(みすず)に見えることから、このように呼ばれています。



双龍門と鉾岩


 
双龍門(安政2年=1855年建立)には、龍の彫刻や水墨画が描かれています。
その左後ろの岩は鉾岩。ローソク岩という別名もあります。



そしてようやく本殿に到着

二枚目の写真をみればわかるように、春日造本殿と入母屋造拝殿の間を幣殿でつないだ権現造の社殿となっています。
文化3年(1806年)の建立です。


御神体が祀られている御姿岩。


今は御姿岩と呼ばれていますが、かつては地蔵岩とも呼ばれていました。
そのことを示している、江戸中期に淵上旭江によって書かれた『山水奇観』の「上野榛名山」の頁をアップしておきます。



続いて歓喜院聖天堂。日本三大聖天の1つに数えられる名刹で、平成24年に国宝指定されました。
豪壮かつ華麗な本殿外壁の彫刻、数々の美しい建築物が所狭しと点在する境内など、見どころ満載でした。


まずは本殿(拝殿)。



本殿正面の唐破風にある「琴棋書画」の彫刻。




奥殿に刻まれた、「寿老人、鹿に鶴の餌飼い」の彫刻。




こちらも奥殿にある「唐子七人相撲遊び」の彫刻。



さらにその横には「唐子七人雪転ばし」の彫刻があります。


子どもたちが遊び楽しむ様子がいきいきと刻まれており、みているこちらも楽しくなります。



そして、北宋の政治家である司馬温公が、子供の頃に家宝である大きな水瓶に落ちた友達を助けるために、石で水瓶を割ったという有名な故事を描いた「司馬温公瓶割図」



過日お伝えしたように、お寺検定は既に受検してきましたが、近々実施される神社検定については、受検する予定はありません。
ですが、なぜかこのところ、神社の見学が続いております。
これまで城郭や寺社と比べると、神社はあまり熱心には見てこなかったのですが、ちゃんと見るとやはりいろんな発見がありますね。




いにしへの 人も祈りし 社(やしろ)かな

 5番×2

本日休み。今日はなんだか肌寒い東京。急に雨が降り出したと思ったらお日様が顔を出したりと、なんだか不安定な気候ですね。


さて、先日の日曜日、東京フィルハーモニー交響楽団の第830回オーチャード定期演奏会にいってきました。
場所は渋谷のオーチャードホール
久々の生オケ鑑賞です。


指揮は尾高忠明さん。そして曲目は以下の通り。

ベートーヴェン交響曲第5番 ハ短調「運命」 作品67
ショスタコーヴィチ交響曲第5番 ニ短調 作品47

そう、この日はどちらも5番。
しかも両方とも超有名曲。
ベートーヴェンの「運命」は、子どもでも知っているあの曲ですし、ショスタコーヴィッチの5番は、本人がそのように命名していないことから最近では呼ばれなくなりましたが、私たちの世代では「革命」の愛称で親しまれた名曲です。


普通のプログラムであれば、どちらもメインにおかれるレベルの曲が、1つのプログラムにはいっているというこのお得な定演。
日曜日の午後ということもあり、ホールは9割近くの座席が埋まっていました。
しかも子どもたちの姿も多く見られたのが印象的でした。
子どものうちから本物に触れるのは、とてもいいことだと思います。


肝心の演奏ですが、どちらもすばらしい!ブラボーでした。
スコアもおかず、指揮棒だけをもってオケを操る尾高さんの円熟した指揮に、若返りの進むオケがビシバシとこたえる。
統率のとれた弦楽器の響きに支えられて、ホルン、トランペットが力強く鳴り響く。
フルートソロの太い音色も印象的でした。

特に革命の4楽章、最後のクライマックスのところは、音の固まりが飛んでくるような迫力ある演奏に、思わず鳥肌がたってしまいましたよ。
ティンパニーとバスドラの「バスン」という締めの響きは、いまでも頭に残っています。

このハードなプログラムをこなせるだけの体力がオケに備わっていたからこそ、今回の贅沢な定演が開催できたのだと思います。
ますます目が離せませんね、東フィル!


なお東フィルは4月の定期演奏会を「ベートーヴェンの祭典 ?」と題しており、12日には交響曲1番および3番とピアノ協奏曲2番を、18日には交響曲4番および6番とピアノ協奏曲5番が、それぞれ演奏されることになっています。
うまく都合をつけていきたいですねえ。


そして一方では、東京交響楽団が、震災による被害で長らく閉館していた本拠地のミューザ川崎に戻って、リニューアルコンサートをはじめています。
いいホールですからね、ミューザ川崎
こちらも行ってみたいものです。


ほかにも新日フィル、読響など、東京にいるといろんなオケの生演奏を聴く機会がたくさんあります。
全部にいけるほど時間もお金もありませんが、できるだけ足を運びたいなと改めて思った、久々のオーケストラ鑑賞でした。



民くさの 憂き世をえがく ハーモニー

 土浦プチ記録(プチ三部作)

三連作の最後は土浦。
目的は土浦市立博物館の開館25周年特別展である「婆裟羅たちの武装−戦国を駆け抜けた武将達の甲冑と刀剣−」展でしたが、実は私、土浦は初めての訪問。
土浦城をはじめ、市内をあちこちまわってきました。
だって、スタンプラリーやってたんだもの・・・。


以下、土浦城の写真を紹介していきます。
なお、上記の特別展は、カプコンの人気ゲーム「戦国BASARA」とのタイアップ企画。
BASARA人気はすごいものがあるようで、平日にもかかわらず多くの観光客が土浦に集まっていました。
お昼をいただいたお店の方によれば、遠くは宮崎県から訪れたという人もいたとか。
歴史ブーム、おそるべし。



土浦城旧前川口門


堀から東櫓をのぞむ。
東京ではやや乗りそびれた感のあった桜を、土浦で堪能させていただきました。


東櫓からの風景


桜と西櫓


桜と櫓門(太鼓櫓)


目的の特別展も、すばらしいものでした。
私の好きな甲冑がズラリ。
展示替えがありますので、5月の連休中に再訪の予定。


以上、3月の小遠征を一気に振り返りました。
いずれもまた行きたいところばかり。
時間をみつけて、またいきますよー!



もののふの 姿伝えし 武具甲冑

 群馬・安中プチ記録(プチ三部作)

続いては群馬。こちらは仕事として各地をまわらせてもらいました。
あちこちまわらせてもらいましたが、今回中心的にまわったのが安中市の神社仏閣。

安中でみられた「信仰の風景」をアップいたします。









庚申塔。市内のあちこちでみられます。


同地に祀られた石仏。当時の色彩が少し残っています。


妙義山をご神体とする里の小さな神社。





ここからは熊野神社
向かって左が長野県、右が群馬県
まさに境界に建つ神社です。

狛犬。左側なので長野県にあるということになります。

妙義神社総門の仁王像


鳥居を支える狛犬。江戸の職人の手による作です。

波己曽神社の社殿


妙義神社本殿


ほかにもあちこちいきましたが、本当にこの辺はまわるところが多いですね。
今回は地元に住む後輩の車でまわったので、短い時間で効率的にたくさんまわることができました。
温泉も含めてまたゆっくりまわりたいなあ・・・。



山里の 祈り伝える 仏たち

 金沢城プチ記録(プチ三部作)

本日仕事。軽く飲んで帰宅したところです。早めに咲いた桜もそろそろ終わりを迎えそうですねえ。


さて、一月以上のご無沙汰をしてしまいました。
3月は年度末ということもあり、なにかと忙しく、つい更新もおろそかになってしまっていました。
とはいえずっとこの間、東京にいたというわけではございません。
仕事やプライベートで、金沢、群馬、および茨城県は土浦に行って参りました。

写真がたくさんありますので、4月3日、4日、5日とにわけてアップいたします(書いたのは4月5日)。


まずは金沢。仕事の合間に「石垣の博物館」、金沢城に足を運びました。
機会がある度に訪れている金沢城
今回もたくさん写真をとらせていただきました。
そのなかの一部をご紹介させていただきます。
この多彩な石垣をとくとご覧あれ!


玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣、および周辺の石垣


玉泉院丸南西の石垣


申酉櫓下の石垣
左側が寛永頃、右側が慶長頃につくられた石垣です。


築塁を芸術的な景色にまで高めた短冊型の石垣


復元された河北門の櫓門石垣


石垣に刻印が彫られている刻印石。
金沢城の各所にみられます。


やっぱりすばらしい城です、金沢城
今度はまたゆっくりと見て回りたいものです。



いにしへの 知恵伝えたる 石の技

 江戸城石垣のふるさとを訪ねて!(宇佐美江戸城石丁場遺跡)

本日休み。いまだ風の冷たさを感じつつも日差しには確かに春の気配が感じられます。
「冬来たりなば春遠からじ」残りの寒さを気合いで乗り切るぞ!


さて先日、といってももう1週間も経ってしまいましたが、2月17日(日)に伊豆の伊東市で開催されました「宇佐美江戸城石丁場遺跡」見学会に参加してまいりました。


私、今さら言うまでもなく江戸城の石垣に深い愛情を持っております。その理由はここで説明すると全く別の話となってしまいますので省略しますが、天気の良い日には、皇居ランナーの方々に「邪魔だよ視線」を送られながらも、せっせと楽しげに撮影に勤しんでおります。

そんな私にとってこの石垣、いや石たちのふるさとである伊豆、および瀬戸内はとても気になる場所であり、是非とも訪れたい土地でありました。
城郭は相当数まわってきましたので、次は石たちのふるさと訪問かな、と思っていたところで見つけたのが「NPO法人 宇佐美江戸城石丁場遺跡保存会」のホームページ。


すばらしい!こんな活動を地元の方々がやっていたことに感動しつつ、拝見していたところ、何と1週間後に見学会が行われるとの告知が!
これは願ったり叶ったり、渡りに舟といったことで、後輩のきよすみくんと共に現地見学会へと参上したわけです。


宇佐美を訪ねたのは初めてだったのですが、街の各所に江戸城石丁場遺跡から運ばれた「刻印石」が展示されており、街ぐるみでこの活動を進めていることが伺えます。


折敷に三の字(豊後臼杵藩稲葉家のものと言われています)


丸に十と一の字(伊予松山藩松平家のものと言われています)



集合場所へ向かうと年配の方を中心に小学生まで幅広い年齢層の方々が集まり、今や遅しと出発を待ちわびています。
ガイド役の保存会の方による事前説明の後、現地へと出発!
まずは伊東市の指定文化財となっている「史跡 江戸城石丁場遺跡」へと向かいました。
街場から緩やかな坂を登りつつだんだんと山側へ向かう我ら一行。そしてしばらく歩くとそこには・・・

なんということでしょう!とつぜん江戸城でもお馴染みの「安山岩」の塊が、沢沿いにゴロゴロとしているではありませんか!
しかも加工前の石から矢穴があけられた状態の石、そこから割られた石、そしてほぼ成形され石垣用のパーツになった石、中にはそこにしっかりと採石した担当者の「刻印」が彫られたものまで・・・。


矢穴とともに矢筈の刻印が刻まれています(豊後佐伯藩毛利家のものと言われています)


丸に二引両の刻印(まだ詳細は不明のようです)


丸に十の字(もちろん島津家!といいたいところですが、この辺りには島津家の石丁場はなかったようです。詳細は不明とのこと)



すばらしいです!この遺跡ひとつだけで、自然石が江戸城の石垣用のパーツに加工されていく流れがほとんど見られるわけですから。
我が愛する江戸城の石垣はこのようにして大きく育ったんだねぇ〜。
なぜか、愛する人の実家に赴き、ご両親に挨拶を済ませた心持ちさえしてきます!?
ここがあなたの育ったふるさとなんですねぇ〜。わざわざ時間作って参上したかいがあったというものです!


と何だかへんてこなテンションで丁場の石たちを次々と撮影。これは築塁の様子を考えるうえでも参考になります。
もちろん保存会の方々には、場所場所で、とても貴重な話のをうかがうことができました!
内容はもちろん、ヒ・ミ・ツ!ぜひ現地に足を運んで欲しいからですよ!


「史跡 江戸城石丁場遺跡」の次は地元の方々が「卍谷」と呼んでいる遺跡へと移動。
これは地元の人の案内が無いときついですね。ちょっとした山城なみの道です。


そしてやはりしばらくすると山肌に巨石がゴロゴロ。

しばらく歩き、谷あいのところにこれまたたくさんの石がゴロゴロ。ここが「卍谷」と呼ばれる場所です。
「卍谷」と言うだけに「卍」の刻印が彫られた石がたくさん確認できます。



もちろん刻印石も。



といった感じで今回の見学会は終了!私たちは帰路別コースの入口まで確認するために一行から離脱。
その後、稲取の方に向かったのですが、そこでのお話しはまた後ほど。


このように、素晴らしい江戸城石丁場初体験を終えることが出来ました。
今回の見学会で再認識したことは、やはりこのような山中にある石丁場遺跡については地元の方の案内が不可欠であるということ!
また草が枯れ、ヘビなどが出ない冬場にこそ、石丁場へはいくべきであること!このへん、認識不足でした。


このような貴重な遺跡がこれからも地元の方々によって守られ伝えられることを願ってやみません。
そして私は後輩きよすみくんと共に再度周辺の石丁場遺跡をまわること(もちろん保存会の方に案内していただきながら!)を深く誓うのでした・・・。




蜜柑なる 豊かな石の 郷たずぬ

 まるこう散歩ミニ〜ちょこっと江戸城を歩く

本日休み。昨日は節分会のことを書きましたが、実はその前に、江戸城を歩いていました。
天気もよく、暖かい休日の日曜日。じっと部屋にいたらもったいないですからね。


今回は東京駅からスタート。
リニューアルされてから、まだちゃんと撮影したことがなかったので、たくさん撮ってきました。
そのなかから4枚ほど。

一時期ほどではないものの、まだまだ多くの方たちが駅舎を撮影したり、駅舎をバックに記念写真を撮ったりしていました。


ではさっそく江戸城へ。
ここからは写真を(石垣の)メインに紹介していくことにしましょう。

辰巳櫓(桜田二重櫓)


大手門(高麗門)


桝形の石垣。江戸城のメインゲートとしての威容を誇る、きれいに整った石垣ですね。


大手渡櫓


大手三ノ門(下乗門)の石垣


中之門脇の石垣。もっと近づいてみると・・・

これが、「江戸切り」と呼ばれる、石の角を鋭利に加工して、上から下まで一直線の稜線を描き出す技法によってつくられた石垣です。
この、あまりにもきれいすぎる石垣をみて「味がない」という方もいらっしゃるようですが、当代の技術の粋を尽くして、このような一直線の稜線をもつ石垣をつくりだしたこと、それが天下の江戸城に用いられていること、そのこと自体の意味を考えると、やはり素晴らしい石垣だと思います。


相変わらずの壮大な天守台。花崗岩の石の白さが映えてます!瀬戸内から運ばれたまさに「瀬戸の花嫁」!
どうしてもその上に天守がある状況を思わずにはいられません・・・。


最後に白鳥濠の石垣を。切り込み接(ハギ)の美しい石垣です。この勾配がたまりません!


午後の、ちょっとした時間ではありましたが、有意義な時間を過ごすことができました。
電車でちょっといけばこんな経験ができる。
東京は、いまでも江戸城の城下町なのかもしれませんね。

今日は簡単なご紹介のみにて失礼いたします。
江戸城はこれからも季節ごとに足を運びたい場所ですね!


JR 一本乗れば すぐ名城