*[想い] 言葉にできない・・・。

公園に積もる雪

本日も休み。昨晩のあの降雪。皆さまもご覧になられましたでしょうか?

私は今日が休みであるということもあって、なんとなく近所に飲みに出ており、あの密度の高い降雪と遭遇いたしました。
ご苦労の向には申し訳ないのですが、「本当にきれい」なものだと思いました。子どもさながら、積もった雪を手でかき、その積もりっぷりもしっかりと体感。

既に旧年中の「秋田」、「長崎」といった旅先で、雪降りには遭遇済みでしたが、あれだけの雪が降るのを見たのはこの冬お初です!しかもこの都心でですよ。
南国育ちの私としては未だ興奮さめやらぬ感じです。

朝ベランダに出ると周囲のお宅の屋根瓦に積もる雪。汚れた街が雪化粧で質素な美しさを見せています。部屋に籠れば、屋根より溶けゆく雪達が、まるで時計の秒針のように規則的に水音を刻みます・・・。

「はかないけど美しい」
言葉にできない感動が日常の中で生まれました(豪雪地帯に育った方は降雪後の苦労、街中が泥水だらけになり汚いなどの思いもあるでしょうから、いかにも不謹慎な発言です。生活感の醸成が異なる者の言葉とお許し下さい・・・)。


さて、そんな話から突然ですが、「言葉」にすると急に「軽く」なってしまう事って世の中には多いように思えます。このブログの前半、雪の美しさに心動かされた私の言葉もそうだと思います。私の「思い」よりは全然軽い。そんなレベルの「おはなし」になってしまっています。
自分で言うのもなんですが「思い」はもっと「クリアー」で迷いのない、「美しい」という感覚です。

そんな「思い」とかけ離れた「言葉」が、他者に何となく強要されたものであれば、なおさら「思い」からかけ離れた「言葉」が紡ぎだされることになります。
それは他者のために創り出した「うそ」に他なりません。真実の思いを伝えんが為に不器用に創り出した「言葉」とは根本的に違います。

そういう言葉(文字)を刻み、他者との関係を取り繕ってまで人間関係を維持しようなんて・・・悲しすぎます。
そんな言葉は私には全くいりません。もっとお互いを信じ、「思い」を感じとりながら言葉にならない言葉(思い)を交わしていければ、そこに自ずから人と人とのつながりは生まれ育まれるものだと信じてなりません。


・・・だれかがつくった雪だるま ボクの帰りを待っている 明日の朝までがんばって お空の国へ帰ってく
                                      (pooh-zo)



 白き雪 街の埃を 抱いて帰す