本日定休日。
いよ〜〜っ。ポンポン!
「みなさん能(本当は脳ですが)の運動していますか?
なんてT大学のK教授(ゲームの方ですがK教授のポリゴン、親近感が湧くんですよねえ。テレビで見た本物・・。)みたいな発言ですが、私の生活は「く・の・う」の連続です。

先に記しましたように、私は、本来ネガティブシンキングな性格から生じる、端から見ればちょっとしたことで深く悩むという面での「苦悩」、また研究、職業という面で、オーバーヒートするまで考えるというところから来る「苦能?」と、最低この二種類の「くのう」に日々さいなまれております。

とはいえ自分にとって、後者の「くのう」は自ら選択して行っている創作活動のよる苦しみ(産みの苦しみ)であるという側面が強いわけですから、最終的には必ず大きな成果へつながり、喜びへと転化しているように思われます。
かたや前者ですが、実態を伴わないことも多く(シャドーボクシングのようなモノ)、この「苦悩」は必ずといっていい程、周りに迷惑をかけ、更なる「苦悩」を生みだす、本当にタチの悪い性格のものであるようです。
確かに人間はすべての人が日々悩み、個人が認識するレベルでは夫々に大きな悩みがあるわけです。それは外部から「つまらない」、「たいしたことない」と比較され悩みの浅い深いを規定されるようなレベルのものではないわけです。
しかし残念ながら「くのう」という意識ですら、いったん外に出してしまえば、人によって評価されてしまう運命にあるわけです。そう考えると、個人の考えている「くのう」の持つ、ある種の「神性」を保つためには、それをずっと自らの懐に抱き続けるしかないという痛い話になるわけです。
だけど苦しいことはいやなもんですよ。私は凡夫ですから。人に聞いてもらっらり、慰めてもらいたい時だってあります。ただし、行きすぎた感情の吐露をすれば、善意の第三者(聞いてくれている人)だって必ず傷つけられるわけですから、自己主張の強い人は充分気を付けていくべきでしょう(おまえが一番危ないと言わんでね)!自己反省も含め、争いごとに周囲を巻き込まないようにしたいものです。

悩みこそ 心耕す 農作業 実りの秋も必ずやこん