本日は仕事。
朝通勤の際の友だちは「ipod」くん。彼の中には私の変動しやすい気性に対応すべく様々な曲(9割はクラシックです)がインストールされています。今日は普段余り聴くことのないショパンの「雨だれ」(24の前奏曲 作品28 第15番 変二長調)を何となく聴きたくなり聴いていました。
この曲に関する解釈は様々に存在するかと思われます。私自身大変好きな曲ではあるのですが、何となく暗く湿っぽい、重々しい気持ちにさせられます。ただこの曲の持つメロディーの美しさ、とぎれないA♭の伴奏がもたらす本質的な強さの表現を感じることができるのはとても良いところだと思っています(10月の長雨の時期に作られたそうですので、10月生まれの私の心象ともあうのかも・・・)。
私にこのような思いを抱かせる「雨だれ」を聴いていて、ふといくつもの言葉が湧き出してきました。まとめてみるとこんな感じです。

 金剛石
輝きは満天の星 固きことは仏陀衆生を救済する思いの如し
その輝きを欲し 掌中に握りしめんとすれば 
たちまちその光は没し 光無きにその掌中より放せば 
則 その光たちまちに帰す 
握りしめしその手を見れば その固き意志により我が掌中の傷つくを知る
嗚呼 我その輝きを己がものとせんと望みしのみを そは叶わず
ただ遠きにありて その輝きを見守るのみや  

まあこのような感じでしょうか。最近の私の悩みと「雨だれ」の音が、こんなものを生んだわけです。
音楽って本当に人の心に共鳴する素材ですよねえ。あっ雨粒が・・・。
 雨だれの その音に揺れし 我が心