今日は以前も書きました「私の教訓」。その第三回目「貞山公遺訓」です。
前回、伊達政宗公(貞山公)の有名な漢詩を紹介しましたが、今回は何となく今後のシリーズ化を狙って?この遺訓を取り上げさせてもらいます。
これまた幼少の私が、意味も考えずしきりに口ずさんでいた言葉の一つです。仙台に行った私がこの遺訓の書かれた湯飲み、暖簾を買ったことは今では思い出の一場面となっています。

それでは先ず遺訓を味わってください。

 仁に過ぎれば弱くなる
 義に過ぎれば固くなる
 禮に過ぎれば諂いとなる
 智に過ぎれば嘘をつく
 信に過ぎれば損をする
 気ながく心穏やかに萬に倹約を用いて金銀を蓄えるべし
 倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば、何の苦もなし
 朝夕の食事は美味からずとも誉めて食うべし
 元来、この世は客の身なれば、好き嫌いは申されまじ
 今日の行をおくり、子孫兄弟に能く挨拶して、娑婆の御暇申したがよし

この遺訓の内容については皆様各人のご理解にお任せするとして、遺訓の性格に関しては、仙台にある政宗公の御霊屋である「瑞鳳殿」のホームページ(http://www.zuihoden.com/)、「瑞鳳殿キッズ」の説明が最も的確だと思いますので、その解説の中から引用させて頂きます(一部改訂、加筆)。

※『貞山政宗公遺訓(ていざんまさむねこういくん)』または『仙台黄門政宗卿遺訓(せんだいこうもんまさむねきょういくん)』、俗に『伊達政宗五常訓』と称せられるものについては、伊達家に関する記録文書のどれにも、根拠となるものが見当たりません。従って、五常訓をとり上げたものは極少数に限られます。
いわゆる俗説として知られていますが、出所や年月日等の裏付けがありませんので、歴史的事実としては否定されることになります。

これによると、どうもこれもまた家康公の遺訓と同様に、本人作のものでは無いようです。
しかし現実として、これもまた政宗公の遺訓として多くの人が信じ、人生訓とされている事実があります。この現象はいったい何を示しているのでしょうか?
別に家康だから政宗だからといって人それぞれがその遺訓(教訓)を心に刻むことはないですよねえ。先ずは心に届く内容、やはり名言なのだと思います。ただ人はその名言に幾ばくかの根拠を欲するのではないでしょうか。それが所謂、後世の創作を戦国武将を代表とした有名人の遺訓・教訓であるとする行為の心ではないかなあと思うわけです(○○さんの言葉に間違いねえ、さすが○○さん良いこと言ってるよねえ等)。
仁に〜過ぎれば〜弱くなる、義に〜過ぎれば〜固くなる・・・。単純な内容ですが、私にとって未だに心響く言葉の一つです(要は、言葉はリズム、内容と言うことですかねえ。)。

過ぎる程 仁を其身に得ればよし 弱き己に誤りは無し