声なき声をきく

9月に入ってもう半月を迎えようとしておりますが、いっこうに日中の暑さが収まりません。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
残暑とはいえこれはすごい暑さ! 秋の虫の声も心なしかお疲れのようで・・・。私たちの呼吸も乱れ気味です。


そんなこんなで、若干、暦に裏切られている感はありますが、先日の「中秋の名月」はほんとに美しかった〜。
未だ節電の余韻を残す街を照らすまん丸のお月様は、まさに秋の月といった感じの照り具合で、私たちの先祖が、銀箔を用いてその美しい控えめなかがやきを表現したことも肯けるものでした。
思わず深呼吸してしまう美しさ。気持ちよい風も心の中を吹き抜けます。


情報過多の現代、もう結構という程の情報が私たちに降りそそいできます。
そんな中で、少し私たちは、日本人として育んだ鋭敏な感性を鈍らされてはいないでしょうか。
ちょっとした変化でも五感で感じてくみ取る力、相手を思いやる控えめな表現など、この国に住む人はまさに「一をもって十を知る」人々であったと思います。
しかし現在、情報の海には、露骨で抜き身の刀のような文字、音声、映像が溢れ、これを通じてどれほど多くの国民が傷つけられ、また鈍感にさせられていることか。


いにしえの人が愛した「能楽」という芸能一つ見ても、篝火の灯る中、面の表情・角度、しぐさ、謠いといった限られた手段から、人の抱く様々な感情を表現し、一つの深遠な物語を描く。
そして聴衆もその限られた手段をもって表現される物語の神髄をしっかり読み解いていく。そんなDNAを私逹は持っているんですよねぇ〜。
その表情、仕草だけからでも多くの感情が沸き立ってくる。


実はそこから、日本人に「着ぐるみ」が受ける理由に迫ることができるのではないでしょうか。
たとえば私がすっかり魅了されている「くまモン」。
彼は、着ぐるみであるが故に、表情はもっていませんし、しゃべることもできません。
できるのは体を動かすことだけ。


しかし、だからこそくまモンの「しぐさ」は、雄弁にその魅力を伝えます。
もちろん着ぐるみの一挙手一投足に、伝統的な「型」があるわけではありません。
でも私たちは、能や文楽という伝統的な「型」をもつ文化から、その「型」を通してメッセージを理解するだけの能力を身につけています。
だからこそ、表情や声というメディアをもたないくまモンの「しぐさ」から、その「可愛さ」を感得することができるのではないでしょうか。


くまモンがなぜ愛おしいのか。可愛いからと言えばそれまでですが、その可愛いという感情こそ結構複雑なものであるように思います。
物言わぬくまモンの声を聞く・・・。そんな私たちだからこそ、くまモン、およびその舞台をつくる人々を愛おしく思うのではないでしょうか。

ちょっとまじめにくまモンのことを考えてみました。
とはいえ、くまモンはやはり愛しい存在ですよねぇ。



もの言わぬ 君のこころに 誠見ゆ