清正展にいってきました

本日休み。
処暑も過ぎたというのにこの暑さ。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

さて、この夏最後(?)の旅となる熊本への旅に行って参りましたので、そのご報告を。
目的は、以前も紹介しておりました加藤清正展です。


今回の移動は、行きは新幹線、帰りは飛行機という計画。
行きを新幹線にしたのは、せっかくなので大阪城もみておきたいという理由から。
ということで新大阪で途中下車して、手始めに大阪城に登城しました。
今回は、これまでいったことのなかった、玉造口から本丸に一度はいって、そこから京橋口に抜けるという計画・・・だったのですが、さすがに天下の名城、そうそう計画通りにはまわらせてくれませんでした。
石垣好きの私としては各所に見どころあり、シャッターがとまりません。
猛暑の中、熱中症もおそれずみてまわりましたが、タイムアップ。
またの再来城を誓いつつ、天守閣に入ることなく、大阪城を後にしました。


熊本への移動はもちろん九州新幹線「さくら」。
三時間を超える長旅ですが、それほど疲れることなく快適な旅を楽しむことができました。


翌日は、これまで行く機会のなかった八代城趾を訪問することだけを決めて、あとはフリーにしていました。
まずはJRで八代へ。
八代城は、一国一城令が施行されている中にあって、本城である熊本城と共に幕府にその存続が認められた城です。
これは非常に稀な例なのですが、その例外が認められたのは、島津氏への牽制のためであったともいわれています。


現在では石垣しか残っておりませんが、この石垣がすばらしい!
石灰岩でつくられた非常に優美な曲線をもつ石垣で、熊本城の石垣と相通じるものを感じました。
石灰岩の石をつかっているだけに、部分的に非常に白い部分があったのが印象的。
ぜひもっと整備を進め、多くの人たちに知ってもらっても良い城なのではないかと思いました。
いやはや紛れもない名城です!


さて、これで予定のプランは終わり。
その後どこにいこうか。
そう考えていたところ、目に飛び込んできたのが「あそぼーい!」の文字。
実は、7月の大雨による線路災害の影響で、熊本〜阿蘇・宮地間を結ぶ特急「あそぼーい!」が、区間を変更して博多〜熊本〜人吉間で、9月2日まで臨時運転していたのです。
せっかくなので、八代から人吉まで「あそぼーい!」に乗っていくことにしました。


「あそぼーい!」といえば、水戸岡鋭治デザインによる有名な観光列車。
水戸岡デザインの電車には、以前「たま駅長」づくしの電車に貴志川線で乗車したこともあり、関心を持っていました。
「あそぼーい!」も、水戸岡さんらしい遊び心にあふれた電車。
子どもたちも大興奮でした。

人吉では足湯につかったりしながら過ごし、帰りは今度はSL人吉にて熊本へ。
こちらもお客さんを楽しませるしかけがいっぱい。
ただ単にSL復活を喜んでもらうだけでなく、車内では鉄道川柳を書いてもらうなど、様々なイベントが実施されていました。
こちらはどちらかといえば大人向けのイベントが多かったでしょうか。


「のぞみ」に代表されるように、高速化をはかることで利用者のニーズにこたえてきたJR東海とは異なり、利用客数が相対的に少ないJR九州では、高速化だけでは利用者を増やすことはできません。
だからこそ「あそぼーい!」や「SL人吉」のような観光列車を運行し、多くの乗客に列車自体を楽しんでもらうことで、利用客を増やすと同時に在来線を維持していく。
JR九州らしい取り組みだなと感じました。


さて三日目。ようやく旅の目的である「加藤清正展」です。
もちろんその前に熊本城にご挨拶。
実はこれで、8月の間に三名城(名古屋城大阪城、熊本城)をまわってきたということになります。


城内には、最近創設された「熊本城武将隊」のみなさんもいらっしゃいました。
その応援に「名古屋城武将隊」の方々もかけつけておられましたが、彼らのショーには実に多くのお客さんが集まっていました。
これもまた、観光要素のひとつなのでしょうねー


つづいて清正展へ。

生誕450年を記念した展示であり、あの有名な甲冑をはじめ、清正に関するさまざまな展示がなされており、しっかりと楽しんできました。
そして午後は九州大学の中野等先生による講演「文禄・慶長の役加藤清正」に参加。
今回の旅程は、この中野先生の講演にあわせたものであり、大変楽しみにしておりました。


その内容は大変に興味深いもので、また私の関心とも重なるところの多い、実り多い講演でした。
特に、私がこれまでほとんど知らなかった、朝鮮出兵時における清正の姿を知ることができたのは大きな収穫でした。
剛胆なイメージで知られる清正ですが、実際にはもっと繊細で、神経質ともいえるような性格であったことが、史料から明らかになっています。
この清正のイメージが変わったのは江戸時代にはいってからのことであったのですが、その元となったのが、この文禄・慶長の役において朝鮮で転戦していた7年間であったことがよく理解できました。
この7年間が清正自身を変えたことはもちろん、清正をとりかこむイメージもまた変わっていったのです。
清正が「清正公」になる下地は、ここにあったのだなと思いました。


中野先生のお話は、一般向けになされたものではありましたが、その内容は最新の研究をとりいれたもの。
こうした最新の見解を聞くことが出来たのは、熊本まで直接足を運んだおかげ。
やはり来た甲斐がありました。


講演を聴き終え、再び会場を閲覧したあとで熊本空港に向かい、夕方の便で帰京しました。
最後は、SL人吉で詠んだ「SL川柳」で占めたいと思います。


煙の中 心は晴れる 球磨路かな
SLの サイズで計れぬ この景色