あの日から3年・・・

東京では、3月とは思えないほどの寒さが続いております。
啓蟄も過ぎたというのに、この寒さでは虫たちも土の中でじっと眠っているよりほかありません。


3年前の今日も、寒い日でした。
所用で新宿にいた私は、ひたすら歩いて家に帰りました。
被災地では、もっと大変なことになっていました。


あれから3年が経ちました。
被災前の活気を取り戻したところのニュースも流れますが、未だ当時の爪痕が残ったままになっているところがたくさんあります。


でも、NHKの歌ではありませんが、いつか花は咲きます。
この寒さの中、きれいな花をつけている湯島天神の梅の写真を載せることで、犠牲者の方々を追悼し、そしてこの先の未来に祈りたいと思います。


早く花が咲きますよう。


ぶらり三島・熱海の旅

東京はなんだか不安定な空模様ですねえ。朝は晴れて暖かかったのに、午後になると雨がぱらついたり、急に寒くなったり。みなさん、風邪などひかれぬようお気をつけくださいね。


ちょっと時間があきましたが、先日、日帰りで静岡県の三島に後輩2人といってきましたので、その様子をご報告させていただきます。


今回の目的は、佐野美術館で開催中の特別展、「戦国アバンギャルドとその昇華 兜 KABUTO」の鑑賞です。
実はこの展示、昨年、二条城の一日城主を体験させていただいたときに、ちょうど大阪歴史博物館でもやっておりましたので、既に見てきてはいたのですが、とても興味深い展示でしたし、ちょっとした気晴らしも兼ねていってきたというわけです。
それに意外にも三島っていったことなかったですし。


朝早い時間の「ひかり」に乗って約1時間、あっという間に三島に到着しました。
この日はちょうど成人式があったため、振り袖姿の女性や袴をはいた男性の姿があちこちにみられました。なかにはちょっとヤンチャな方もいらっしゃいましたが。。。


三島駅から歩くこと10分ほどで佐野美術館に到着。
見事な回遊式の庭園があります。


庭園散策で心を落ち着かせたのち、いざ美術館へ。


うーん、やっぱりすばらしいですね!
「頭を守る」という兜本来の目的を果たす必要性が薄れてくると、目立つ部分であるだけに、意匠にさまざまな「遊び」が加えられていきます。
その結果、「なぜこんなものを前立てに・・・」、「なぜ熊が兜になってるんだ・・・」といった、現代アートさながらの「作品」がずらりと並ぶことになったのです。
「戦国アバンギャルドとその昇華」という副題は、まさに言い得て妙ですね。
なお展覧会は2月11日までやってます。未見のかたはぜひ、行ってみてください!


続いては、せっかく三島まで来たので富士山を拝もう、ということで、南下して中郷温水池(なかざとおんすいち)へ。
温水池、といっても、温泉のように暖かいお湯がたまっているのではなく、湧き水を稲作用水として利用するために水を温める池なのだそうです。
この中郷温水池は、リンク先にもあるように、天気がよければ逆さ富士が写るとのことだったので、期待していったのですが。。。

残念ながらこの日は雲が多め。逆さ富士とまではいきませんでした。
でも、ときおり雲がはれると美しい富士山の稜線が姿を現します。
予想以上に大きく見える富士山の姿に、思わず手を合わせてしまうまるこうでした。

それにしてもこの湖面のきれいなこと!

ここに富士山が写れば、ほんとにきれいだろうなあ。


続いては三嶋大社へ。その道すがら、ポイントポイントで姿をあらわす富士山に、「あ、出た!」といいながら立ち止まってはパチリ、立ち止まってはパチリと繰り返していましたので、到着までにちょっと時間がかかってしまいました。


しかもこんなかわいらしい「水くみ人形」もありますし。

これ、ほんとにお水を汲んでくれるんです。
お水はもちろん富士山の雪解け水。
おいしかったなあ。


さて、三嶋大社ですが、この日は大変な参拝客。

お参りをするのにかなり時間がかかってしまいそうだったので、失礼して脇からお賽銭を投げ入れてお参りとさせていただきました(このことが気になったこともあり、後日ふたたび三島を訪問し、参拝してきました)。


源頼朝が深く崇敬し、源氏再興を祈願したという古い歴史をもつ三嶋大社には、宝物館もあります。
この宝物館には中世の文書がたくさん展示されておりますので、こちらにももちろん行ってきました。


それから東海道線で熱海に移動。
遅いお昼ご飯をいただいた後、駅前の足湯でリラックス。
この足湯、ほんといいんですよねえ。


その後、箱根七湯のいくつかを巡ってきました。


熱海駅まで戻り、再び東海道線でゆっくりと帰京。なかなかの充実した一日でした。
三島は東京からのアクセスもいいですし、帰りに熱海に立ち寄って温泉や、時間がなくても足湯を楽しむことができます。
みなさまもぜひ三島へ!オススメですよー


初春の 富士を望みて 行く旅路

 新年の恒例行事のご報告

本日休み。もう松の内もあけてしまいましたが、みなさま、今年も当「まるこう本舗」を、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、みなさまはお正月、どのように過ごされましたでしょうか。
私は、元日は近所の鎮守様にお参りに行き、2日に恒例となっている三社(ニ社一寺)参りにいってきました。
今回はその様子を、写真を中心にしながらご報告させていただきます。


朝10時に後輩と待ち合わせをして向かいましたのは、神社ではなく浜離宮恩賜庭園
諏訪流放鷹術保存会による放鷹術の実演会を見に行ってきました。
昨年もいったのですが、すっかり鷹の美しさに魅せられて、三社参りをスタートする前に参上した次第・・・。




昨年同様、今年も晴天に恵まれ、さらに風も強くなかったので、電通ビル屋上から浜離宮に降りてくるメインイベントに期待が高まったのですが、やってはみたものの野生の鳶(トビ)たちに「領空侵犯罪」とみなされたようで、別の茂みに降下、残念ながら失敗してしまいました。
ですが、地上での放鷹術はすべてスムースに行きました。
それにしても、いつ見ても鷹は美しいですねえ・・・。


続いて向かいましたのは、旧江戸城、つまり皇居。
一般参賀に参加する「ついで」に、普段は入れない、西の丸跡につくられた新宮殿他で写真撮影してきました。



正門鉄橋。これがいわゆる二重橋です。普段は西の丸大手門の前にかかる石橋(眼鏡橋とも、西の丸下乗橋)の後ろにあるので全景をみることはできないのですが、今回はその下乗橋から撮影できました。


伏見櫓と伏見多門。これも普段はここまではっきり見る(撮影する)ことはできませんねぇ〜。


新宮殿正門脇の石垣。江戸時代のものではないと思いますが、石がきれいに削(はつ)られており、たいへん手のかかった石垣となっております。
高い石材加工技術をここに見ることが出来ます!


本丸西面の石垣。伊豆産の安山岩を高く積み上げた石垣の下には、枯れた葦などと共に蓮池濠が見えます。
夏にはみごとな蓮が咲くのだそうです。申し込みをして、この時期にぜひ再訪したいですね。


富士見櫓二景。八方正面の櫓と俗に言われる富士見櫓ですが、まさにその通りですね。どこから見てもすばらし〜です!


当時はこの富士見櫓よりも遠く富士山が望めたといいます。
その富士山の姿はさぞ雄大であったことでしょう。そういわれてみれば、石垣の稜線も、どことなく富士山を彷彿とさせます・・・よね?



普段はみられないところにある刻印石。
二枚目には私の大好きな「丸に十字」のしるしもみえます。



これら見学・・・いやいやそうではなく「参賀」を済ませ、桔梗門(内桜田門)二の門(渡櫓門)、一の門(高麗門)と通り抜け下城いたしました。




この時点ですでに15時近い時間になっておりましたので、やや急ぎ気味で本日のメイン!三社参りがスタート。

まずは虎の門にある金刀比羅宮へ。

こちらでは正月10日までしか入手できない「福銭開運の御守」をいただくのが毎年の恒例となっております。



つづいて愛宕神社へ。

この石段は「出世の石段」と呼ばれております。
四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が、徳川家光公の目の前で馬にのってこの石段を上ったことで一躍有名になったという故事に由来しております。


やっとのことで石段を上ってみると・・・

この人だかり。写真だと雑然と人がばらばらに立っているように見えますが、実際には蛇行する行列となっております。
行列は境内の外にまで続いており、結果的に約2時間ほど待つことに。。。

で、ようやく参拝したころには、とっぷりと夜が更けておりました。


こちらでは毎年「羽子板絵馬」をいただいております。
実は今回で13枚目の羽子板絵馬。
そう、干支が一回りして二度目の午年絵馬だったのです。
12年前とデザインが同じか否か、気になるところでしたが、新しいデザインになっておりました。


まさかのタイムロスで、いそぎ最後の目的地、増上寺に向かいましたが、すでに参拝は締め切られておりました。
仕方がないので御堂の前でナムナムの後、2014の電飾も美しい東京タワーを背景に一枚。



その後、地元にもどって新年会。
モツ鍋屋さんの「雷電」にて後輩共どもモツ鍋をいただきつつ、「茄子とトマトのマリネ」を注文。


これにて「一富士(見櫓)二鷹三なすび」、強引のコンプリートであります!


以上、新年の恒例行事のご報告でした。
それでは、みなさまにとっても幸多き年となりますよう・・・。



初春の 願いを込めて 江戸めぐり

 大晦日に思うこと(ご挨拶)!


平成25年も残りわずかとなっております。皆さまいかがお過ごしでしょうか?

さて、私ことまるこう(pooh-zo)ですが、昨今本ブログの更新を疎かにしてしまっており、一部の皆さまには大変ご心配をおかけする結果となっております。

実際、本年も各地を飛び回っており、色々と書き留めておかねばならないことはあるのですが、日常の忙しさにかまけて、なかなか思うよう報告・管理が出来ていないのが現状であります。

とりあえず心配の種であった「厄」からも本年をもって解放されることでありますし(2月の節分まで厄だという説もありますが・・・)、何とか来る年の平成26年は、月3〜4話のペースで近況報告が出来ればなぁ〜などと考えております。


それでは皆さま、本年も「まるこう本舗」ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

来る年も、何とぞ引き続きご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。

皆さまどうぞ良いお年をお迎えください!

                                   まるこう拝

 二条城、一日城主の巻

本日休み。急に寒くなってきたなあと思ったら、もう11月も下旬にはいっていました。
寒いのも当たり前ですね。
今年は夏の猛暑だけでなく、10月くらいにもかなり暑い日々があったこともあり、秋をちゃんと味わう前に冬が来てしまったような感じがしています。


さて、前回の記事で、このところあちこち訪問しているということだけはお伝えしておりました。
そのなかに、「彦根、大阪、京都」といった地名がはいっております。
このときは京都の二条城への登城をメインとした旅でした。

11月8,9,10日にかけて訪れたのですが、この時期の京都はものすごい観光客であふれかえっております。
ホテルもほとんどが部屋代を高めに設定しており、よほど以前から予約していない限り、京都市内での宿泊なんて考えられません。

本来はゆっくり、じっくりと城郭や寺社、史跡などを見て回ることを好む私が、なぜ敢えてこんな時期を選んで京都にいったのか?


それは、二条城の「一日城主」に選ばれたからであります。
なぜ選ばれたのか?まずはその経緯からご紹介いたしましょう。


現在、二条城では、国宝・二の丸御殿をはじめとする文化財建造物等の本格修理が進められております。
今回の本格修理は、1603年徳川家康による築城以来の大修理なのだそうで、ということは多大な年数、そして資金が必要になってきます。
そのため京都市では、“世界遺産・二条城一口城主募金”を募っているのです。

歴史を愛し、城を愛するまるこうとしては、こういう話をきくと心が動かされます。
ということで、以前、二条城に訪れた際に、わずかではありますが募金をして参りました。

で、一口城主になると、特典が得られます。
その特典の1つが、一日城主になるための抽選権なのです。
一万円につき一口が与えられることになっておりまして、抽選は半年に一回。
選ばれるのは10組だけという、なかなかに狭き門。


もちろん私は一万円しか募金しておりませんので、一日城主に選ばれるなんて、まったく想像もしておりませんでしたし、そもそもそんなことすっかり忘れていました。


そんなある日、二条城の事務所より、一通の封書が送られてきました。
なかには、一日城主に選ばれたとの通知が!
かくして私、まるこうは、後輩を御供に引き連れて、二条城へ登城したのであります。


さて当日。
天気もよく、秋を感じさせるさわやかな気候。
否が応でも気分は高まります。

一日城主の“登城日”は複数用意されているのですが、今回の「一日城主」様は私たちを含めて3組6名。
この6名のために、多くの職員の方が各所でさまざまなサービスを施してくださいました。
これぞまさに「殿様気分」であります。


当日の「御次第」は以下の通り。


一、二の丸御殿 御昇殿(車寄から)
一、二の丸御殿大広間一の間 御着座
一、二の丸庭園 御周遊
一、清流園和楽庵にて御一服
一、二の丸御殿 御昇殿(黒書院縁側から)
一、二の丸御殿黒書院一の間 御着座
一、二の丸御殿黒書院から二の丸庭園御鑑賞
一、二の丸御殿黒書院にて記念撮影
一、障壁画模写室内 御見学


そう、なんと大政奉還が諸大名に告げられた大広間の御座への着座だけでも恐れ多いのに、黒書院にまで着座できるのです!
こんな格の高い空間、もちろん一般の方は入室できません。
まさに城主であればこそ、足を踏み入れることができるのです。
もうこの次第をみただけで、私、震えがきました。


職員の方のご案内のもと、まずは唐門へ。

修復がなされたばかりで、色合いも鮮やか。
こういうところに募金がつかわれているのですね。


以下、時系列に沿いながら写真を中心にご紹介していきましょう。


お庭。これも普段は入ることのできない旧行幸御殿側からのルートでした。
通常であれば撮影できない角度からも写真撮影できましたよ。

こちらは一服いただいたあと、茶室から上様気分で撮影。


ここからはいよいよ黒書院へ。

障壁画は保存のため模写ですが、一流の日本画家の手になるもの、さすがのすばらしさです。


御帳台構の足でまたぐ場所には、葵御紋ではなく、裏紋(別紋)の六葉葵があしらわれています。

飾り金具や天井もすばらしい〜!


夢のような時間はあっという間に過ぎていきます。
すべての行程を終えたころには、一般の見学時間はもちろん超えておりました。
そのため東大手門も閉まっていたのですが、我々が出るときに再び開けられ、東大手門より下城いたしました。


以上、ほんの一部ではございますが、一日城主としてみてきた二条城の様子を紹介させていただきました。
(撮影した写真をブログ等で公開することについては、問題がないということを確認してあります)
こんな機会、めったなことではありません。
ほんとうに貴重な体験でした。


そして何より、休日にもかかわらず私たち一日城主のために、たくさんの職員の方がサポートしてくださいました。
その「おもてなし」に、いたく感動させられました。
こうした人たちの日々の努力と、文化を愛する多くの人たちによってなされてきた募金が、二条城を未来へとつないでいくのです。
なお今回の大修復には全体で100億円が必要であり、そのうち50億円は京都市が負担することになっておりますが、その一部を募金でまかなう予定だとのこと。
こうした「特典」があたるかもしれませんし、みなさもぜひ、募金してくださいね。


そして、ほかの城郭でも、こうした募金活動はなされております。
機会を見つけて、自分のできる範囲での募金を、これからも続けていきたいと思います。




将軍に なりきり歩く 秋の京

 秋の近況報告

本日休み。急に冬めいてまいりました。皆さまお風邪などひかれませぬよう。


さて、また一ヶ月ほど更新が滞ってしまいました。
このところ、いろいろと忙しく、相変わらず更新する時間がとれずにおります。


実はこの間、仕事やら旅行やらで各地をまわってきております。
いったところを挙げていくと、福井、金沢、佐倉、会津、米沢、那須塩原、名古屋、彦根、大阪、京都といったところ。
うーん、我ながら結構な移動っぷりだなあ。


もちろん各地で写真も撮影しており、ちゃんと整理も済んでいるのですが、こちらで紹介するとなるとなかなか大変。
とりあえずは生存報告を兼ねて、近況のアップのみさせていただくことといたしました。


なお、このすべての訪問先について記事に書くのは大変ですが、少なくとも京都・二条城での「一日城主」体験だけは、後日アップさせていただきます。
文化財を守りつづける人たちの想いとおもてなしの心に、いたく感動いたしました。



長旅の 疲れ忘れる おもてなし

 関ケ原陣跡制覇ウォーキングに行ってきました!

本日休み。今日はちょっと蒸し暑いですね。沖縄は2つ続けて台風におそわれているようですが、あまり被害がでないよう祈っております。


さて、またしばらく更新が滞っておりました。9月は職場のイベント等で何かと忙しく、十分な時間がとれずにいたのですが、そんなときにこそ旅に出たくなるもの。
そんな思いが募っていたところに飛び込んできたのが「第四回 関ケ原陣跡制覇ウォーキング」という魅力的なイベントの情報!
日時は9月29日(日)。週末の予定を確認してみたところ、ひさびさに予定のはいっていない週末。

「そうだ、関ケ原、いこう」

ということで「いざ鎌倉」ならぬ「いざ関ケ原」ということで、参陣することにいたしました。
しかも後輩K君も、なんと日帰りで参陣。
すべてのポイントをまわる制覇コースは総距離16km、所要時間約6時間という長丁場ですので、やはり「御供」がいたほうが助かります。
さらにK君は山歩きを趣味の1つとしており、御供として大変心強い。
彼に借りたストックが、どれだけ膝の負担を軽くしてくれたことか・・・  本当にありがたい限りです。


ではさっそく、写真とともにコースをたどっていきたいと思います。

まずは関ヶ原駅より丸山烽火場を望む。
風にたなびく烽火が気分をもり立ててくれます。

参加費1000円を払って受付をすませ、いざ出陣。
大砲がまたいいんですよねえ。


細川忠興陣跡

新しく整備された様子がよくわかります。
石碑の右下にいる黄色い物体にクローズアップしてみると・・・。

三成の兜をかぶった猫!
か、かわいい・・・。

続いては、坂を登って丸山烽火場へ。

②丸山:黒田長政竹中重門陣跡

戦機をみてここから烽火をあげていたそうです。

丸山(岡山)烽火場からの風景。

戦況がよく把握できたであろうことがよくわかりますね。
なお竹中重門は、合戦当時の関ケ原の領主です。

山から下りてしばらく歩き、次は家康が最後に陣をひいた場所、陣場野へ。

陣場野:徳川家康最後陣跡

床几場(しょうぎば)とも。ここから小早川秀秋に向けて発砲を命じたといわれています。

田中吉政陣跡

ご案内の足軽さんが良い感じだしてます。
吉政は敗走する三成を捉えた武将です。

⑤東首塚

合戦後に戦死した兵士達を埋葬したところ。西首塚もありますが、今回はルート外でした。

松平忠吉井伊直政陣跡

松平・井伊隊は、先鋒と決まっていた福島隊の制止を振り切って宇喜多隊に発砲し、開戦の口火を切りました。

しばらく南下して本多忠勝の陣跡に向かいます。

本多忠勝陣跡

勇猛で知略も備えた名将、本多忠勝の陣跡。
関ケ原では軍監として参戦し、島津隊に向かって進撃しました。

今度は西に向かってずんずん進みます。

藤堂高虎京極高知陣跡

ここは関ケ原中学校の敷地内。
関ケ原中学校」、ちょっとうらやましい(笑)

福島正則陣跡

春日神社の境内にあります。後ろにそびえ立っているのは樹齢800年の「月見の宮大杉」。関ケ原の合戦もみていたという杉の木です。
この杉の太い枝が2011年8月、自らの重みに耐えきれなくなり折れてしまったのですが、その枝から切り取られた小さな杉板に石田、福島、徳川の家紋の焼印がおされたものが売っていたので思わず購入。

脇坂安治陣跡

松尾山の麓にひかれた脇坂安治の陣。
ここから松尾山に登っていくことになります。
前半のハイライトですね。

⑪松尾山:小早川秀秋陣跡

やっと登ってきました!眼下には関ケ原の風景が広がります。

ここで事前に購入しておいたおにぎりを食べてお昼休憩。
ここまででも結構な疲労でしたが、まだまだ半分。
しっかり休んでから松尾山をおり、次のポイントへと向かいます。

常磐御前の墓前

こちらでは関ケ原ウォーキングと協賛している「中山道常磐まつり」が開催されておりました。
地元の山中自治会の皆さまより心温まる「おせったい」を受けました。
地元の方達の心遣いが疲れた体に染み渡ります。

大谷吉継陣跡(眺望地)

向こうに見えるのは松尾山です。ずいぶん遠くまで歩いて来たなあ。


大谷吉継(吉隆)の墓

吉継の埋めて隠した湯浅五助。それを藤堂仁右衛門に発見され、自らの首と引き替えに他言しないよう依頼し、供養を託します。
その五助の思いにこたえ、藤堂によって合戦後に建てられた墓だといわれています。


⑮平塚為広の碑

関ケ原の隣に位置する美濃垂井を治めていた平塚為広の碑。


宇喜多秀家陣跡

天満神社の境内にあります。開戦直後に東軍より攻め込まれ、激しい戦いが繰り広げられました。


小西行長陣跡

合戦開始とともに烽火をあげて味方に開戦の合図を示した小西行長の陣がひかれた場所です。


⑱開戦地

福島正則が宇喜多隊に対して一斉射撃をしかけた場所が開戦地となっています。


島津義弘陣跡

神明神社の裏側にあります。御先祖様もこの地にいたのかも、と思うと、手を合わせずにはいられませんね。


⑳決戦地

三成の首を狙う東軍の諸隊が笹尾山を目指して突進。笹尾山の麓にあたるこの地で激戦が繰り広げられたといわれています。
ぬけるような青空のもと、石田と徳川の家紋が染め抜かれた白い旗がたなびいています。

そして最後のポイントである石田三成の陣跡めざして、笹尾山を登ります。
あと一息!

21 笹尾山:石田三成陣跡

さらに5分ほど登って展望台へ。

関ケ原を一望する笹尾山。三成も同じようにこの風景をみたのでしょうね。


笹尾山を下ったところでゴール!

写真を撮りながらの行軍でしたので、トータルで6時間くらいかかりましたが、無事に歩ききった達成感で大満足!
しかも参加賞の「関ケ原合戦オリジナルスポーツタオル」、13のチェックポイントで集めた「武将千社札」、制覇コース完歩のご褒美「関ケ原特製プレミアムピンバッジ」、そしてかわいいめめたんの「やぎ乳アイス」という4つの特典までいただいてしまいました。
これで参加費1000円なんてお得すぎます!


こういう機会でもなければ、まず自分で歩くことはないであろう関ケ原古戦場。
こうして歩いたことで、なぜ各隊の陣がこの地にひかれたのか、そして合戦があのような形で展開したのか、感覚としてわかるようになったように思います。
毎年、というわけにはいきませんが、また機会があったら参加してみたいですね!


兵が 刃交えし 野を歩く